内野明子プロフィール

米国Health Expert Alliance認定ヘルスコーチ

岩手県出身、ヘルスコーチでシングルマザーの内野明子です。

 

私は、2歳から喘息で人生前半は健康とはほど遠い人生を送ってきました。他にもアトピーやアレルギー性鼻炎などがあり、「明子はアレルギー体質が遺伝したんだ」と聞かされてきたので、自分は仕方ないのだ、健康にはなれないのだと思い生きてきました。薬が手放せなく学校にもなかなか行けない状態になり、ついには親元を離れ、治療のため小学4年生から6年生まで国立療養所に入所することになりました。朝晩冷水をかぶり、乾布摩擦をし、毎日1.5キロのマラソン、喘息体操に腹式呼吸などの鍛錬をしました。親が面会に来るのは日曜のみで、実家に帰れるのは年に1回から2回でした。職員や看護師さんがとても厳しく、まるで軍隊にいるかのような生活をし送りました。ようやく中学1年で親元に戻ったはいいのですが、家に帰ったとたんにひどい喘息が復活。自分の「甘え病」は治っていないと発作を起こすたびに自らを責めていました。(当時喘息は甘え病だともいわれていたのです)

 

そんな中学1年生の5月に私はあまりにもひどい発作のため呼吸が停止しました。死ぬほど苦しく、父の手を掴みながら意識が遠のいたことを覚えています。気がついたら私はベッドの上で点滴をしていました。母の顔がぼんやりと浮かび「あ〜、死んでない」と思いました。そして、次に私も目に入ってきたのが自分の腕です。腕は紫色になっていてたくさんの斑点が見られました。チアノーゼです。そこで私は自分が九死に一生を得たんだと知りました。小学3年の時に2歳下の妹を白血病で亡くしているので、「死ななくてよかった、また母を悲しませてしまうところだった」と思いました。

18歳で就職のため上京。寮に入り親がそばにいなくなったので、私は発作を起こしてはいけない、と思うようになったせいか、一年間大きな発作を起こさずに過ごすことができました。この頃から「もしかして、気持ち次第で発作って起こらないのでは?」と薄々感じるようになっていました。

とても刺激的な都会で過ごすようになり、私はたくさんの人々に出会いました。いい人しかいない岩手県で18年育った私はとても純朴だったのでしょう。都会の洗礼を受けてしまします。私は騙されてしまい奈落の底に落ちてしまいました。22歳の時です。詳しくは別の機会があったらお話しますが、借金を抱え朝から晩まで働かざるを得なくなってしまったのです。人生が終わったと思いました。しかし私はここで負けるわけにはいかない、妹の分まで生きるんだと、一念発起し、働きながら写真学校へ通いました。とてもよい友人に恵まれ、私はフリーでブライダルのカメラマンとなることができました。借金も無事返済し、ここからの10年間は海外に写真を撮りにいったり、友達と遊んだりと、若者らしく楽しく過ごせた時代だったと思います。

32歳で結婚34歳で娘を妊娠、35歳で出産しました。妊娠を機に私は元気な子を生みたい、自分も健康にならなくては(喘息の吸入薬を手放そう)と真剣に考え始めました。人間はうまくできてきます。私はついに娘のおかげで喘息発作がなくなり、子育てに集中することができました。

​しかし今度は鬱に悩まされることになります。いや、元々私は体が弱かったせいや、家庭環境のせいで鬱だったんだと思います。それがたまたま娘の子育てとともに表面化されたんだと思います。そこで私は自分の人生に大きな影響を与える人に出会いました。精神科医の斎藤学先生です。斎藤先生の一冊の著書「家族依存症」という本で知り、この人なら私の気持ちをわかってくれる、そう思い先生のいるクリニックへ駆け込みました。

そこでは「さいとうミーティング」と呼ばれる世にも面白いミーティングが繰り広げられていました。集団治療なのですが、赤裸々に語られる話が本当に面白い。最初は自分の悩みを解決するために参加していたのに、どんどん興味が斎藤先生やそこに集まる人々へ移っていきました。これが治療です。結局5年通い、私は見事回復し通う必要もなくなりました。(楽しかったので、回復するのももったいないくらいです)

​私は5年間真剣に自分の人生を考えました。そして離婚しました。私が42歳、娘が小学2年生の時です。ここから主体的に送る本当の自分の人生が始まりました。出産後はアルバイトしかしていませんでしたので、まずは稼がなくちゃいけない。自分ひとりで稼ぎ、家賃を払い、子育てするには経済的にかなり厳しい状態でした。しかし、私は精神的に自由でした。娘とのびのびと暮らし将来のためにもいろいろ学ぶようになりました。派遣社員から正社員になり企業広報として働くようになり、生活も安定してきました。

そんな矢先、娘が小学6年生のときに体調を崩します。診断名は起立性調節障害でした。いわゆる大人の自律神経失調症です。朝起き上がれないため、不登校になってしまいました。まさか自分の娘が不登校になるなんて、、、私はショックでした。それからフリースクールに入ってみたり、いろんなことをしましたが、結局中学3年間不登校でした。しかし、悪いことばかりではなく、学校の理解や娘の友だちの理解のおかげで親子で多くのことを学びました。(2021年9月現在は通信制高校に通っています)

そして2020年新型ウイルス感染症の流行。ひとり親の私は怖くなりました。自分に何かあったら娘が困る。必死に情報収集をしました。すると、とあるネット番組で外科医でヘルスコーチの石黒成治先生に出会いました。この先生が私の人生を激変させます。私は先生の動画をすべて観てすぐにライン登録しました。なんでも「腸」がすべて。腸内環境を改善することが鍵なんだと言うことがわかりました。そして、ダイエットや便秘解消のためにもファスティングに参加したい、そう思っていると、ラインにて先生から「28日間の健康習慣のプログラム」のお知らせが届きました。私はすぐに申し込みボーンブロスで行うファスティングを初めて体験しました。

ファスティングをし、生活習慣を変えていくと私の体調に大きな変化が訪れました。30年来の便秘解消、ニキビの改善、減量、頭がスッキリする、やる気が出るなどなど。そして、仲間ができ、料理をするようになったのです。

ここで気づきました。そうか、娘の起立性調節障害はもしかして私が何も食育をしてこなかったせいかもしれない、そう思ったのです。私は仕事の忙しさもあり、娘にいつもコンビニやスーパーで買ったお弁当やお惣菜を購入して、出していました。野菜もどうせ食べてくれないと、いつの日かほとんど出さなくなっていたのです。市販のお菓子も食べ放題、スマホも真夜中まで見放題。これでは自律神経も乱れてしまいます。私は大いに反省し、ファスティングをきっかけに予防医学について学び、娘の食事も変えていきました。すると娘の体調が少しづつ良くなっていきました。

 

このことから、私は食と健康の大切さを痛感しました。そして、ぜひ同じように悩んでいる人や、健康になりたい人のためにファスティングや健康に関する情報を広めていきたい、そう思い日々活動しています。

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